2013年04月02日

再びの竜~共生~

時は遥か古代。場所は倭と曖昧に呼ばれていた島国の内陸部。
我こそは覇王に、と意気込む者が各地に群雄割拠して小さな領地争いはありながらも、全国をまとめあげる大勢力は未だ現われず。人々の暮らしは長老が治める各集落ごとの掟に従うくらいの制約しかなく、住民の大半は米や粟などの雑穀を生産して食いつなぎながら、粗末でも穏やかな日々を送っていた。
その頃の人々が心の拠り所としていたのは、風土に根ざした地形や自然環境に神威を感じ、それを畏れあやかる自然発生的な宗教心を暮らしの規範にした見えざる「呪」というもの。比較的大きな集落をまとめる長老格の中にはこの「呪」を自在に操って自らが現人神となる者があり、自分に対する異常な信仰心による呪縛で人々を統治する邪馬台なる国も出現するのだが、それは数世代後の話。
世の中の潮流から取り残されたかのように平穏な風景が広がるその里では、専ら陽が昇る方向に鎮座する霊峰の峰峰が人々にとっての畏怖であり、夏でも融けない冠雪を頂く大いなる御姿を事あるごとに崇めることで暮らしが成り立っていた。その頃はまだ神社のような特別な施設はなく、無形の祭祀を行う場所や対象が自然の装いでそこにあるだけだった。どうしても理解できない現象や誰にも共通して畏れを感じる場所があれば、それだけで信仰心が芽生える時代。
里を取り巻く自然は豊かだった。見晴らしのいい台地を切り開いて民の住処とした他は、隣の集落へと続いてやがては山を下る獣道のような生活道路が数本あるくらいで、ほとんどが手付かずだった。楽に得られる水だけはなかったが、そこは年中雨に恵まれたこの国のこと。台地の一方を縁取る小高い山の裾には湧水する場所が幾つもあるし、もっと奥の集落から流れ下る比較的緩やかな渓流までいけば誰に気兼ねすることなくたっぷりと水を利用できる。普段はおとなしく見えても過去には実際に何度も氾濫して人家を押し流してきたその脅威と比べれば、水汲みのために少し歩くくらいは苦にならない。
全ては遠くに鎮座する霊峰のおかげだと、人々は信じていた。栄養状態が良くなくてもそれが一般的だから疑いもしないし、誰もが徒歩だから強靭な足腰を持ってさえいれば特に不便だと感じることもなかった。
里において特殊なことといえば、そこが竜の通り道となっていたことだけ。配下の眷属に命じてその巨体に浮力を与える能力を持っているから一年の半分は大地に降りることなく移動できるが、壮絶な闘いを繰り広げるうちに浮力を失って這い蹲るしかできなくなるから、竜が通ると分かる場所へは人はみだりに立ち入ったりしなかった。
いったいいつからあるのかも定かでない、それが里の掟。民と竜との暗黙の了解。
里にとっては人間など相手にしないほど巨大な生物に抵抗して貴重な人命を失うのは得策ではなかったから、長老がこどもたちを教育して里の掟を厳しく伝え守っていた。しかし不思議にも里での竜は忌み嫌う存在ではあっても、崇めへつらい感謝する対象ではなかった。有形の存在として常に人間の監視が行き届いていたから、見えない危害を心配する必要がなかったのだ。そのために民と竜は共生のような関係にあった。自然発生的に起きたことだから、人々はそうであることに何も疑いを持っていなかった。
もちろん、その無敵に見える巨大な竜が煉獄に囚われて果てしない戦闘に明け暮れていることを民は知らなかった。人にとっては当たり前のようにできる子孫を竜は持ちえず、天涯孤独であることを民は知らなかった。いつやむともない苦しみや痛みで身体が引きちぎられそうになりながらも懸命に生へこだわり続ける一つの命であることも、民は認識し得なかった。
そして竜もまた、異なる種である人間に余計な感情を求めなかった。竜にとっては人間など関心を持つべき存在ではなく、したがって自らの邪魔にならない限りはむやみに爪を振り下ろすこともない。
そうやって人間と竜はうまくやってきた。誰かが決めたのではなく、ごく自然に。

スポンサーリンク

同じカテゴリー(メッセージ)の記事
 再びの竜~決意~ (2013-04-18 00:14)
 再びの竜~支配~ (2013-04-10 02:33)
 再びの竜~黎明~ (2013-04-09 02:40)
 再びの竜~前進~ (2013-04-06 23:37)
 再びの竜~試練~ (2013-04-06 00:58)
 再びの竜~胎動~ (2013-04-04 00:53)

Posted by blackcat at 01:24│Comments(0)メッセージ
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。