2011年04月14日

ひとりきりの開通式

このところの陽気で苗たちはぐっと成長して、そろそろ管理がきついと感じていたところに念願の、水。
自前のポンプを作動させてみると、僕の思惑通りに水が開通。いつも最初はなかなかうまくいかなかったので、今年の水はもの凄く嬉しいぞ。今季への期待も膨らむ。
 
うちの農業にとってまさに心臓であるそのポンプは、やはり中心施設である苗床ハウスに隣接する地区のポンプ小屋の軒先に置かれている。
その地区のポンプというのが、毎年僕がいさらいを担当するまさにその場所だ。僅かだが高台になっているその周辺地域に水を配るため、数キロ離れた取水口から小八賀川の水を分け流してその四角い水槽に溜めておき、電気モーターで動く巨大なポンプで水を汲み上げる仕組み。
うちは隣接する圃場で親の代から農業をしてきて、年1回のいさらいは欠かさずやってきた。その際の水抜きに馬力のあるうちの心臓ポンプを使ってきたこともあって、本来はいけないはずの公共施設に私物を設置して使うことが黙認されている。
僕だけの判断でこんな乱暴なことはできない。40年近く経っても現役であり続けるこのポンプを残してくれたこともそうだが、こういう部分に僕ひとりの農業ではないな、という思いを強くする。
 
うちの心臓ポンプが、すぐ横の公共施設から水を拝借していることは述べた。そんな施設のすぐ近くなら水に困らないのでは、というのは誰もが抱く疑問であろう。
実際の水事情はそんないいものではない。考えてみれば分かるだろうが、この地域は元々水に恵まれていたわけでないから、わざわざ金をかけて巨大なポンプを設置する必要があった。それも暗渠を作って水を誘導しているのはうちの圃場のすぐ手前まで。その本線は別のルートを巡って、ポンプで汲み上げた水の通る支線と下流で合流するのだから、なんともやるせない。
地区のポンプで潤わされる範囲というのは1kmの円にも満たないくらいで、その範囲に圃場を持つ者は必然的にポンプの稼働状況に左右される不運を背負うことになる。僅か数m下れば冬も枯れない豊かな水があるうちも、まさにそうだ。
ポンプは非情なことに田んぼのスケジュールに合わせてあるから、だいたい4月の下旬から10月半ばまで。畑作中心で田んぼが全くなく、しかも年中何らかの作物を栽培しているうちにとっては、これがいつも悩みの種だ。
こうした運の悪い水事情から生まれたのがうちの心臓ポンプで、本体を上に置いて吸管を伸ばしたために大きめの馬力が必要になった。吸管が長いと本体への負荷がきつくなるので丁寧な扱いを心がけねばならないらしい。実際、そのことを知らないうちはいまいち調子が悪く、担当者を呼ぶのをためらってるうちに機を逃すことがよくあった。
この心臓ポンプを自分一人で扱うようになって今年で6年か。父親が亡くなって6年でもある。
父親が最初にこの心臓ポンプを購入して設置した時からの付き合いである担当者にいろいろ教えてもらって、やっとで僕も一人前にこうした機械類をまともに使えるようになった。おかげで今年は季節の初めから水の勢いが良く、もうじきくるチンゲンサイの定植に間に合いそうだ。
 
ただ一つ。今日の水の開通は、設置からメンテまで僕が全部行って、喜びを分かち合う人はそばにいなかった。ひとりきりの開通式はやはり淋しいぞ。
少しずつ環境の整ってきた僕の農業にある、それが弱点だ。なんとかしたい、ってそれが一番難しいんだよな。こればっかりは機械みたいにうまくいかないわな。はあ。
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Posted by blackcat at 21:57│Comments(0)農業
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