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2013年12月19日

今年は「お・も・て・な・す」の心で

1年のブランクを置いて、はうのきスキー場に再臨だ。
僕のいない間にはうのきではコースの新設や人事の刷新など、いろんな変化が起きていた。けれど、そこはど田舎の貧乏スキー場。いくら望んでも全換えできるほど人材をかき集められるわけもなく、名簿に連ねられた名前のほとんどは、なんだか見たことのある「あいつ」や「こいつ」ばかりで、新鮮味に欠ける。ま、そこが良い点であり、悪い点でもあるんだろうな。期待するとすれば、これまで手を付けられずにいた硬直化した部分にもメスを入れられる体制が整って、いくらかは合理化が進みそうなこと。それは一従業員である僕にも相応の負担がのしかかってくることを意味するが、ある程度はうのきの実情を知っている僕は最初から覚悟していたから、この先働くのに何ら支障を来すものではない。
そんなことよりも、率直な気持ち、僕は再び勤務できて感謝だ。新体制であろうとなかろうと、やるべきことは何も変わらない。そう考えている。
 
今年も、プレオープンの前日に全体講習が行われて、僕も参加した。救助器具の使い方を習ったり、ひと通り仕事の心構えなどを聞いた後は、ロッチの一室に移ってゲストによる講習会だ。これも恒例になっている。
僕が以前参加した時は、お辞儀の角度等だった。今回は・・・「お・も・て・な・し」。べたな。
講師は、各務原からみえた、40代くらいの草食っぽい男性。この人の喋りで印象に残ったのは、小学生の娘に、「おかえり」って言ってもらって嬉しかったというエピソード。なんていうか・・・淋しすぎる。彼の公演は、やれVTRを観ろだの、やれグループで話し合いをしろだの、話をするのが講師の仕事なのに仕事をしないから、余計に淋しい人物像がイメージに焼きつく結果となった。
で、内容はというと・・・サンプル企業の紹介VTRが全てだった。例えば運んでいるラーメンにつばが飛ぶのも構わずに大声で挨拶したり、新人を屋上に並ばせて挨拶の練習をさせるのがしごきにしか見えなかったり、来場する車のバックを見ようとするばかりに車に引かれるのでは、とひやひやする車屋があったりと、それはもう、面白かった。あまりにも面白すぎて、眠たいのを堪えるのが一苦労だった。後で振り返ってみて、どこが「お・も・て・な・し」かは分からなかったけど、とりあえず他人は他人であることは理解できた。いくら滝クリの名言で、今年の流行語大賞に選ばれたからって、安易に連呼したところで「お・も・て・な・し」を感じてもらえるわけがない。
だいたい、このど田舎の貧乏スキー場では、来てくれる客全てが神様だ。その精神を共有してさえいればいいのではないか。逆に「お・も・て・な・し」って言葉を口にした瞬間にそれは腐り始めて、一気に輝きのない石ころに変わってしまう気がする。
僕としては、滝クリがあのプレゼンで、「お・も・て・な・し」を「お・も・て・な・す」と言い間違えていても、世界は認めていたと思う。言葉ではなくて、中身。それがない職場ではどのみち先は見えている、と思う。
翻ってはうのきはどうか?問い続けること、それが結局「お・も・て・な・し」への近道なのではないか。
 
・・・まあ、ブログでこれだけ連呼する僕が一番陳腐なんだけどね。
  

Posted by blackcat at 22:02Comments(0)スキー場と雪

2013年12月19日

変換エンジンプログラムの起動に成功しました。

・・・これで、晴れてグーグル日本語が復活。長かったぞ。祝砲!×3
愛用してきたお前が突然死んで、パニクったのは当然のこと。何を試しても息を吹き返さないから、泣く泣くお前の魂を天に帰してインストールの儀式をもう一度やってみるも、おかしな啓示が降ってきてどうしてもお前は動かない。ナンテコッタ!
たかが日本語入力だろ、なんて侮るなかれ。お前がダメならと元に戻してみた、デフォルトのM製日本語ソフトなんて、小学生の作文程度しかまともに作成できないんだぞ。予測変換ができないどころか、一字一句正確に入力しないといけない、辞書に載っているような慣用句が変換されない、文節の認識がいい加減すぎて、文章としての入力がほぼ絶望的・・・って。ツカイモノニナラナイ。せめて単語登録だけでもできてくれよ!なんて悲痛な叫びも虚しく、ほとんど詐欺のような代物を我慢しながら使ってきた。
といっても、使うのは主に検索語句の入力くらいだ。長文なんて、とてもとても。感覚的には3倍くらいは時間がかかる感じだから、ただでさえ文章で記事を埋めなくては、という強迫観念で雁字搦めになったブログ更新ですり減るものの多さといったら・・・
挑んではみたさ。何度も心折れそうになったさ。ほとほと困り果てて、やはり求めるのはお前しかないと気が付いて、狂ったようにお前の復活を望んださ。だけど、どれだけ試してみても降ってくるのは、いつでも同じこのメッセージ。
「変換エンジンプログラムの起動に失敗しました。・・・お使いのパソコンを再起動してください。」
こういう謎のエラーメッセージが現れた時に、素直な大人ならまずは信じて従ってみるのだろう。期待して実行して、一向に変わらない状況に絶望するのだろう。そのプロセスを経て辿り着くのは、疑うことだ。もしかして、同じ症状は自分だけではないのではないか。もしかして、このメッセージに込められた真意は別の場所にあるのではないか。そう考えて検索で調べてみたら、ヒットした。
答えを先に述べると、このエラーは、インストールとはまた別のアクセス権が拒否されることで起きたものだった。だから再起動で絶対に直るものでなく、アクセス権を正確に認識させる修正プログラムを入手して実行するのが、一番有効な手段だった。分かってみれば、なるほどだけど、その気付きまでにどれだけ時間を浪費したことか。そうして分かる、自分の未熟さと使いやすい日本語入力ソフトの必要性。
グーグル日本語よ、お前はもう離さない。抱擁×3
 
障害が除かれたことで、作者はまたやる気になった。なってしまった。くだらないし、どうでもいいかもしれないけど、これがマイブログだ!
てな感じで。THE RAINBOW GARDEN、しれっと再始動です。
  

Posted by blackcat at 19:01Comments(0)その他

2013年07月31日

ご来光に願いを

 陽も出ない早朝から、こんな山の上に人が集まるなんて、物好きだと思う。
 時刻は、朝の4時半。標高2700mもあるここ乗鞍岳の畳平は、7月といっても外套に身を包んでなお震えるような寒さだ。無理もない、畳平までは車で登れるから勘違いしがちだが、他の場所なら山頂に当たるくらいの高所なのだから。
 ライトを点した定期バスが、畳平に入る手前の三叉路に客を下ろして空の状態で料金所を通過する。1台でも驚きなのに、それが時に、何台も連なって。岐阜県側から、長野県側から。さらに畳平の宿泊施設に泊まっていた人が、懐中電灯で足元を照らしながらそのスポットに移動するのもこの時刻だ。
 多い時になれば70人近くも集まるのではないか。口々に寒い寒いと呟きながら、それでも横並びで彼らが待ち望むのは、乗鞍岳のご来光である。それを拝むためにわざわざ足を運ぶんだから、本当に物好き。ご来光なんて、他の場所でも体験できるだろうと思うが、そういうものでもないらしい。
 僕ら駐車場係は、彼らのような物好きさんを日の出前にお出迎えするのが仕事だ。前日から麓の事務所に泊まり込んで、2時半くらいには起床。僕らよりも早く出発したパトロールの確認を待って車で畳平へ移動し、鍵を開けて準備する。お出迎えといっても笑顔で愛想を振りまくわけではなく、はっきり言って何をするわけでもないが、僕らがそこにいなければ始まらない。僕らは始まりの鍵のようなもの。
 山の天気は変化が激しく、濃霧で視界が閉ざされれば夜の運転は難儀する。風が強いと前屈みになっても前進すらままならない。ご来光の見られる朝はまた放射冷却でいっそう寒さが堪えるんだ。それでもご来光を求める人の願いは途切れなくて、バスは増えるばかり、人の密度は濃くなるばかり。そして今日も一部の物好きさんのために鍵を開けてやる。夜明け前から。
 残念ながら、僕はまだスポットからのご来光には出会ったことがない。仕事を放棄すればすぐそばにあるんだけど。これはサボって持ち場を離れようか、なんて考えていたら、それまで姿を隠していた山塊の肩付近からものすごい光量が洩れてきて、邪な気持ちを見透かすような眩しさに目がくらんだ。と同時に、冷え切った世界に熱も届けられて、一気に気温が上昇した。思わず、感嘆。
 (戦時中、ここ畳平に高高度エンジンを研究する軍事施設があったことなど忘れても良い。畳平はそのために拓かれた、というのが歴史の真実であっても。)
 ご来光が終われば、人々は散会する。一つの目的に縛られることなくばらばらになって、それまで待ち侘びていた太陽など顧みなくなる。人間を大量に輸送してくるバスは、まだ来ない。忙しくなる時間に備えて、ここらで少し、眠っておこう。
  

Posted by blackcat at 21:05Comments(0)その他

2013年07月11日

寝苦しい夜を切り裂いて、走れ。

今年は梅雨入りも早かったが、梅雨明けも早かった。そのおかげで、下界ではこの時期では異例の気温35度越えを伝える天気予報が連日のように。聞いているだけで身体が蕩けそうだ。アスファルトやガラスの照り返しを考慮すれば、体感的には40度をゆうに超えて街を歩いただけで茹で上がってしまいそうな熱湯列島から逃げ出すことのできない方たちは、気の毒に。こちら、雲上の天界は涼しくてクーラー知らずだ。
と、いうか。
夜明け前の山岳道路を車で上がる、その必要な視界すら容赦なく奪い去ろうとする目の前の濃霧と格闘していれば、連日の猛暑に対する注意喚起を呼びかけるアナウンサーの声などノイズにすぎない。おそらくこの仕事をしていなければ、これだけ分厚くて厄介な霧の海に飛び込んで運転する機会など、まずないだろうな。粘りつくように停滞する濃い霧の中ではセンターラインをガイドにして進まないと忽ちに道路を外れて崖下に転落してしまうような極度の緊張を強いられるから、目的地に辿り着くだけで疲れてしまう。そればかりか、自然の光を失った山岳は夏季でも寒々とした空気にくるまれて、下界の熱湯列島でしか暮らせない人間たちを嘲笑うかのよう。
僕らは、先に上ってきて山岳の様子を確認したパトロールの次に駐車場へ入って、ご来光を求めて早朝からバスに乗り登ってくる観光客のために待機していなければならない。それだけの業務のために前日から麓の事務所に泊り込んで、夜明け前の山岳道路を運転してくる。何もなければ平湯のゲートを3時半に開けて4時半には定期バスが入るから、その前に到着して準備を完了する計算か。間違いなくこの時刻は太陽が出てないし、基本的にゲートを開けてからしか発電機を回す係りが上ってこないので、僕らはかなり高い確率で車中のヒーターくらいしか暖のない寒い環境でじっと待つことになる。
ただでさえ山岳の夜は冷える。それに加えて霧があったり風があったりするととんでもない寒さになって、昼間なら上着を脱ぐくらいの暖かい陽気があっても、始業のその時間だと作業着の上着の他にアウターが欲しい感じ。これまでに何回か夜明け前の山岳を体験してきたが、これほどまでに寒さが厳しいとは思わなくて、陽の出る時間が削られていくこれからに一抹の不安がある。これまでに僕は一度もご来光に出会えていないことも、不安を増幅させる材になっている。
実際にご来光を拝んだ人の話だと、それは本当に感動するくらいの美しさだという。そんな綺麗なご来光と巡り合えれば目が覚めるんだろうな、と思いつつも、今はまだ雲上と下界のあまりの格差に慣れないでいる。下はピーカンでも、畳平では濃霧、視界不良ということはよくあることだ。
山岳は怖い。しかしながら、それ以上に奥深い。少しずつ、乗鞍の魅力に気づきかけた自分が今、ここにいる。
  

Posted by blackcat at 22:30Comments(0)その他

2013年06月22日

祝福の富士山に魔王岳のまおーが物申す!!

わははは・・・!!我輩は知る人ぞ知る、魔王岳の「まおー」だ。ん?なんだって?魔王岳に登っても誰も人影を見なかった、だと?そんなはずはない。我輩は、人類の有史以前から勝手に魔王岳に棲みついて「まおー」と名乗ってきたんだから、いないわけがないだろう。よく探してみたまえ。我輩は、ここ乗鞍の主峰である剣が峰なんかよりずっとイケメンだから出会っても眩しすぎて頭がくらくらするのかもな。わははは・・・!!
我輩のことはどうでもよい。さっきまでテレビのニュースを観ていたんだが、どうやらあの富士山が正式に世界遺産に登録されたらしいな。ユネスコの諮問機関から除外を勧告されていた三保の松原を土壇場で取り戻して、完璧な姿で世界遺産の栄光を勝ち取ったんだから、関係者は鼻高々だろうな。また国民にとっても胸が熱い。こどもの頃から「日本一の山」として刷り込まれ、銭湯とかいろんな場所で自然と親しむことの多い富士山は心の山でもあるんだとな。よく言ったもんだ。我輩も、一万年ほど昔に富士山を背景にして遠州の沿岸で水浴びをした経験があるくらいだから、庶民の社交場である銭湯に描かれる題材としてはこれ以上ないだろうな。いくら我輩がイケメンでも、銭湯だけは譲ってやる。もくもくと湧き上がる湯煙や荒々しい波しぶきと似合うのは富士山しかない。我輩だって富士山の凄さについては理解しているつもりだ。
だがな、よく聞け。富士山が日本一であることまではいいが、これが世界の山になるなんてのはいったいどんなまやかしなんだ?成長してもおぼこい、おぼこいと思い込んでいた自分の子が、あるとき白粉やら紅やらで化粧をしてみたら一目惚れするくらいの美人になって、そのままよそに嫁いでいくような感覚か。いや違うな。日本の一番から世界の一番に看板を書き換えることで国境を越えて羨望を集め、一人で悦に浸る富士山を想像するとなんか怖いぞ。そもそも、あれだけ有名な山で何もしなくても観光客が寄り付くのに、今更になって世界遺産にこだわる理由がよく分からん。それは素直に祝福したとしても、だ。白川郷の事例やなんかで世界遺産に登録されることが必ずしも地元に福を招くわけでないことは重々承知しながら、それでも世界を目指す、世界の富士山でなければならないと情熱を燃やす、クールな我輩にはとても共感できないことだ。
我輩のいるこの乗鞍を見ろ。少しくらい観光バスが登ってきて歓声が飛び交うことがあっても、そんなのは濃霧に巻かれるまでの一瞬にすぎん。手付かずの自然とはよく言ったもので、実態としての人が寄り付けない自然を肌で感じる駐車場の静けさは普段から、我輩は寂しいぞ。特に今年はあまりにも観光客が少なすぎて閑散とした駐車場で手持ち無沙汰の関係者をよく見かけるから、いい加減、同情してもいいかと声をかけたいくらい。どうだ、クールだろ?元から収容人数が限られるし観光面でも登山の面でも哲学が異なるから同列で論じることはできんが、乗鞍の場合は周回遅れでも一向に気にしてないようなのんびりムード。そこが好きなところであり、嫌いなところでもある。まあ、もう少し、あと100台ほどバスが登ってきてくれれば文句はないわな。
対して、今の富士山のホットぶりはどうだ。世界遺産に登録もされていないうちから山でも麓でも盛り上がりやがって、何故だか人がわんさか、聞けば前夜祭とかなんとかって、ただ自分が酒を飲みたいだけにしか見えないのにそれが共感の連鎖を生むなんて理不尽まであって、富士山は噴火寸前だ。忘れてはいけないぞ、富士山は涼やかな見た目に反して火山なんだから。ここ乗鞍も。事前の報道を覆して本会議で富士山の登録が見送りになれば、それこそ富士山が噴火して手のつけられない怒りを見せただろうけどそんなことはなく、逆に最高の形で祝福の今日を迎えられたから人々の歓喜は最高潮、やれ歌え、やれ踊れの号令が遠く離れた乗鞍まで聞こえてきそう。羨ましい、じゃなくてだな。我輩の知らないところで勝手に盛り上がって、人々の熱で今にも爆発しそうなホットな富士山に物申す!!
ずるいぞ、自分だけ観光客を独占して。これからは世界を相手にするんだから、お前は遠慮して少しくらい観光客を乗鞍に回せよ。あ、外人はノーサンキューな。ここ乗鞍はこれから富士山に代わって日本人の心の山と呼ばれるようになって、詩歌の題材になったり、銭湯の背景になったりするのが、我輩の密かな野望なんだ。日本の文化とか美意識もよく分からん外人が銭湯の湯船に浸かってペイントの乗鞍を眺めて寛ぐ光景なんて、絶対にあってはならん。乗鞍は日本の山でいい。世界遺産なんて、余計なレッテルはいらん。クールで謙虚な我輩がこう言うんだから、今すぐに実行するように。以上!
我輩、魔王岳のまおーは、気がつけばお前の背後にいるかもしれん。以降、お見知りおきを。わははは・・・!!
  

Posted by blackcat at 22:04Comments(0)その他

2013年06月15日

ホリエモンの光と影

堀から出たホリエモンは丸くなっていたけど、まだ耳がある。
「未来のネコ型ロボットであるドラ○もんは何をしても生物にはなれません。なぜか?」なんて下世話な耳は聞き流せ。
代わりに「未来のホリエモンは英雄になれません。悪役にもなれません。なぜか?」という痛い耳が出題される予感。
その耳、削ぎ落とせ、と悪魔が囁く。削ぎ落として、ホリエモンを量産するんだ。
一家に一台、ホリエモン。そんな時代が来るような、来ないような。
 
(絶対に高級品ではないよね。最初は奇をてらって流行っても、いつか足蹴にされてゴミ箱行きになるのがオチか。)  

Posted by blackcat at 20:42Comments(0)その他

2013年06月13日

夏雲を俯瞰する台風の後先

あまりにも早すぎた台風3号。接近もしないうちからマスコミが騒ぐからかなり用心して危険日に備えたけれど、蓋を開けてみれば大きく列島から外れた上に台風でさえもなくなって。この地方に最も近づくはずだったその日、下界は朝から晴れて気温が上がり、天界まで登る山岳道路からの眺望はこれまでにないくらいに素晴らしいものとなった。
ちなみに山岳道路の行き止まりにある畳平駐車場はその日、最初が晴れ。少ししたらガスが濃くなってきて、ほとんど何も見えない状態が終日続いた。麓の煮えるような暑気を多分に孕んでいたらしくガスが重なって濃縮された只中に身を置けばなんとなく長袖が鬱陶しくなるような微妙な暑さで、ほんの数刻霧が散って日差しが届くと急に肌寒くなる、何を着ればいいのか分からないおかしな一日だった。下界で想像するのとは全く異なる気候が山岳に待つのはいつものことだが台風3号の見えざる騒擾に掻き回されたその日は、特に。
観光客が期待する山頂付近からの眺めは濃霧のためにほぼ絶望的で、運悪くこんな気候の時に来た地元の中学生は気の毒だった。が、ガスに閉ざされていたのは山頂付近だけ。山岳道路を下って戻る道すがら、視界に飛び込んできた下界を見下ろす景色は普段では絶対に見せない表情で、誰もが感嘆の声を上げたに違いない。なにせ、積乱雲と思しき雲の塊と同じ目線にいた。緑の濃くなった山々が鮮明に見えて夏の雲が早くも空を彩っていた。
神々しい。帰りの車中でそう感じたのは、大袈裟な表現ではない。そして、なんて贅沢な体験なのだろう。
積乱雲の下にはおそらく夕立がある。下界では晴れから急転した夕立の熱い雨から一時退避するしかなく、人々の狼狽とか夕立が去った後の安堵まで含めた夕立の雲を俯瞰できるとは思わなかった。上空でそれが何かの層にぶつかって横方向へ延び広がって皿状になった光景を観察できるなんて思わなかった。全ては山へ上がって仕事しようという発想がもたらした役得だ。山岳道路はどうしてもカーブが多くてのろのろ運転になってしまうから、後部座席からの車窓の風景、思う存分に堪能した。
山岳道路はもちろん終わりがある。ゲートを通過して峠を下って接続された一般国道に入ればそこはもう下界、高山でも日中30度を越したとか越さないとかの炎獄の痕跡は午後5時過ぎのその時間でも残っていた。あるはずの夕立の雲は全く別の谷筋だからそこからは影すらも発見できない。辛うじて夏雲は見られてもやることが多すぎてそれどころでなく、おまけに敷き詰められた湿気のせいで正常な思考力を狂わせられがちの下界ではわざわざ首を捻じ曲げて空を振り返ったりしない。
確かに大地は繋がっているのに。毎日のように登る天界でそれを確認して一旦は思いを胸にしまうはずなのに、山岳道路を下って下界の人になるとすっかり忘れている。おかしなものだ。
  

Posted by blackcat at 21:34Comments(0)その他

2013年05月31日

一番素直になれる場所。それが、

皆さん、お揃いで。よく来てくださいました。大型バスを3台も連ねて、大変ありがたいことです。
皆さんご存知の通り、今年、この地方は例年より11日も早く梅雨入りしました。それは里だけでなく、山岳とて同じこと。たくさんの観光客を受け入れてきた景色の美しいこの山頂駐車場は、今しばらく、雨と風が猛威を振るって人の接近を寄せ付けなくなります。
そう、現在、バスの外でうねりを上げながら絶えず車体を揺らし続ける折からの風雨は、決して虚構などではありません。残念ながら、これが現実なのです。下界と違って高所にあるこの駐車場では霧状に拡散する雨も、視界を遮る濃霧も珍しいものではなく、皆さんの見ている風景こそがこの山岳の本来の姿といえるのです。
それにしても皆さんはお若いですね。え?中学生ですか。山脈を挟んだ隣の県から。ほう、社会見学。身近な自然を体験させるためにこの場所を選定されたとは、光栄な話です。が、この雨のために素晴らしい眺望は望めません。はてさて、皆さんはこの場所でどう過ごすのですか?
参考までに申しますと、今日これまでに駐車場へ入った観光バスは、トイレや売店くらいの用事でさっと帰っていきました。山裾にまだ残雪があるようなこの時期だと高山植物の観察もできませんからね。早めに引き返すのが賢明でしょう。
とはいっても登ってくるだけで30分以上はかかる山岳道路を引き返すとなると、どうしてもあれが問題になってしまうんですよね。不思議なもので、狭い座席に押し込められていたりすると余計に。人間の生理には敵いません。それはお若い皆さんにしても同じことで、いくら雨がひどくてもやっぱり油圧式のドアを開きましたね。そこからわらわらと出現して、おのおのに雨を避ける工夫をしてダッシュで向かうのは、手近なところにあるトイレです。
男子も。女子も。引率の教師も。バスの運転手も。大勢の観光客を収容するために建設された広大な駐車場はこの雨のために売店も含めてとても閑散としているのに、敷地の片隅に置き忘れたような料金所裏のそのトイレに人が押し寄せてこんなに賑わうとは思いもよりませんでした。まったくありがたいことです。
水の枯渇したこの時期はトイレの手洗い水にさえ不便する始末で、わざわざタンクに汲み置いた水を使ってもらうしかないから、手を洗うのにどうしても雨で濡れてしまうこういう天気の日はお客さんに申し訳ないのです。予定していた行事を行うことができず、山岳の心を洗うような風景に出会うこともできず、挙句の果てには風邪を心配するくらいに身体を濡らしてしまって。散々な社会見学になってしまいました。
・・・いえいえ、そうでもありません、ですか?気候が不安定なために雨の湿気が奥の方まで入り込んでくるトイレなんてこんな山岳でしか体験できないし、晴れて動きやすい日ばかりでなく雨が降って何も見えずそこにあるはずの雄大な景色に出会えなかった痛恨の思いもまた、生徒たちには成長の糧になるのです、と。ふむ。
そうですね。よく考えてみれば悪天候になって身動きが取れなくなっても自然と人が求めて参集するのは、実はトイレなんですよね。それも設備の整った水洗式に慣れた現代人にしてみれば悪臭の漂う昔ながらのぼっとん式なんて、顔を背けたくなる代物。それでも人はここに集まってそして散るのですからね。トイレは、ある意味、人間が一番素直になれる場所といえるでしょう。
山岳の、とても不便なトイレにお世話になって帰れるというのは、本当は素晴らしいことなんですね。雪遊びができなくても、山登りができなくても、売店で土産物を眺められなくても、この山岳でトイレに辿り着いただけで十分。身体の要求に応じて排泄を済ませばそこにはある種のカタルシスというか達成感のようなものまであって。
生徒の皆さんは幸せだと思います。いい社会見学になりました。あまりの雨のためにバスはトイレに寄っただけで引き返すようですが、どうか、ご無事に下山してください。
そして、大人になっても今日のことはどうか恨まないでください。スタッフからのお願いでした。
  

Posted by blackcat at 11:28Comments(0)その他

2013年05月25日

涸れきった不消ヶ池に一杯の水を求める。

天界という場所は、空気が澄んでいる。晴れて風がないなら、下界よりもこちらの方が断然過ごしやすい。眺めもいいし、ありのままの自然が保存されてるし、最高!・・・と言いたいところだが。天界の水事情だけは最悪だ。
なにせ、トイレで使う水がない。飲料水など、もってのほか。食堂などで調理に用いられる水は全て山麓から汲み上げたものを使っていて、天界で直接採取したものでないから味が劣るのは必然といえるだろう。必要最低限の水しか提供できない、いわば山岳砂漠のようなこの天界はやはり人が暮らすには厳しい世界である。
何を言うんだ、水ならあるじゃないか、たくさん。そう反論する向きもあるのではないかと思えるが、何事も目で見えるものだけで判断してはいけない。
確かに水はある。正確には水が変化した「雪」という形で、畳平の周辺をはじめ乗鞍の至る所に未だに分厚い雪渓を形作っている。が、これらの堆積した雪はそのままでは水として利用できないし、仮に一瞬で融けて全てが水に還ったとしても、すぐに低所へ流れ下る水を確保して継続的に利用可能な形で留め置くのは至難の業だ。特に国立公園に指定されている乗鞍の場合は最低限の人工施設しか許可されないから、今後も貯水槽のようなものが建設されることはないだろう。
唯一、現地で調達できる水というものは、畳平からやや登ったところにある不消ヶ池(きえずいけ)なる水溜りからホースで引っ張ってくるものだけだ。畳平の開通前に、関係者の手で雪の層を掘削したり、重たいホースを運び上げてなんとか終点まで繋いできた。あとは天水が豊富に降り注ぐのを待つばかりのはず。なのに、我々の努力に対して成果が弱いのではないかと不安になるのは、傾斜を持った雪渓に這わせてきた黒いホースの線が俯瞰するととても細すぎてその送水量に疑問を抱くから。観光客がどっと押し寄せる繁忙期にわざわざ給水車を出して人を使うよりはまし、くらいの浅い考えしかないのでは、とさえ思える。例えそうだったとしても、直接水の恩恵に預かる身としては頗るありがたるしかない。それが、天界の現状だ。
どうしてもとなれば下界より高い金を払って自販機で購入する、という手はあるけどバカバカしいから控えている。やはり天界では水は自分で用意するのが最善。限られた水をタンクに入れて手洗い用に提供している屋外のトイレなど、この山岳砂漠では破格のサービスだと思いなさい。
山岳のルールが厳しくなって、水も、食料も、ついでに紙も自前で用意しなければいけない環境になれば、誰だって辟易する。下界から隔絶された特殊な体験をしたいといってもそこまではまず求めてない。山が遠くなる。そうなって損をするのは、結局は観光客なんだと考えれば実行なんて難しくないだろう。
水を節約しなさい。感謝しなさい。そうした綺麗な心があっての、美しい乗鞍だ。
  

Posted by blackcat at 22:29Comments(0)その他

2013年05月22日

天界の乗鞍に、未だ騒擾はなし。

そこが天界と呼ぶには、少しばかり語弊がある。が、僕にとってはれっきとした天界だ。我々が何気ない日常を送る下界、人界とは何もかもが異なるという意味で。
車で登れる地点としては日本一高所だと言われるそこに降り立てば、たいていの観光客が思わぬ寒さに身をすくめる光景は、もう何度も目撃してきた。そう、寒いのだ。そこは。今の時期なら下界では夏の装いでもおかしくないくらいの気温があるから油断して向かうと、しまったアウターが必要だったなんて経験を既にしているほどのそこには基本的に夏が来ない。常に一つ前の季節を体験することになると考えると分かりやすく、下界が真夏なら天ではせいぜい暖かい春、下界が冬なら天では厳冬だ。
標高2700mもあるそこはまた、空気が薄い。この地球を囲う空気の層が実は均一でなく、地球の重力を受けて外側から内側に向けてとんでもない圧力が働いていることを、普段誰が意識するだろう。だが人の定住できないほどの高所であるそこでは、様々な現象から空気の性質を身体で知ることになる。下界で空気を封入したポテチの袋が高所ではパンパンに膨らむのはよく知られるところだが、気をつけないとカップ麺の上蓋がシールの内側で剥がれることがあるので注意したい。さらにカップ麺に注ぐお湯を沸かしても、気圧の関係から沸点が100度に達しないために、麺をほぐすのに十分でない場合もある。
まあカップ麺に関してはなるべく山へ持ち込まないようにすれば済むが、こちらは人間の力ではどうしようもない。高山病だ。山登りの最中に全身へ供給する酸素が不足して体調を崩すのがその症状だとばかり思っていたら、少し違っていた。2700m地点にある勤務地から下界へ帰る途中に、いきなり耳の奥がキーンと鳴って、物音が聞こえ辛くなる体験はこれまで毎日。実はこれも高山病の一種だそうだ。そう聞いて、なんか納得した。我々は下界で何気なく生きながら見えざる力に押し付けられるような息苦しさを感じることがあるが、その正体の一つはこれだったんだ。空気の持つ重力に押し潰されそうになりながらも、過剰に濃縮された酸素を取り込んで無理に心臓を動かし続ける。それよりも希薄な酸素を大事にして圧力の少ないそこで伸び伸びとする方が素直なのかもしれない、とは思う。ある種の開放感があるのは間違いないことで、それが山の、乗鞍の魅力なんだろう。
これまで勤務して、気がついた。下界では考えられないくらい天で寒さに震え、強風に煽られることがあっても、この地に降り立つ人は穏やかだ。少なくとも人命に関わる事態以外ではいきり立つことがバカバカしいと思えるような心境の変化があると考えるべきなのだろう。心が落ち着くというか、仙人になるというか。
下界は少し前までの寒さが嘘のような、やや湿気をまといだした重たい暑さと面倒くさいと叫びたくなる余計な仕事の数々。天界はそれよりは遥かにましだ。時には事件が起こって拘束されることもあるけれど、後になれば笑い話で済んでいくだけのことだ。天界は未だ大きな騒擾はなく、毎日が穏やかに過ぎていく。
天界にはどこか死後の世界を想起させる響きもあるけれど、それもまた良し。その場所の開放感には特別なものがある。厳冬期は風雪に閉ざされながらも短い夏には多くの高山植物が我先にと花開かせて命を輝かせる。こんな自然の色濃い場所で静かに命を閉ざすのなら、それもまた本望だ。
  

Posted by blackcat at 22:09Comments(0)その他

2013年05月17日

下界よりも人間臭い畳平で遭難する。

山岳で働けば、遭難できる。簡単に。
悪天候を待つ必要なんて、ない。はぐれればいい。単独行動を取ればいい。
誰にも分からないように忍び足で勤務中にどこか手頃な山に登ってみて、思う存分、山岳を楽しむがいい。心の靄をも晴らすような頂からの眺望は、山好きでなくても山を好きになる要素が満載さ。酔いしれる。酷使したはずの身体が疲労に疼くのもまた心地よく感じられて、なんとなく急くように帰りの足が軽い。そうやってしれっと帰り着いてみれば、売店やらバスターミナルの明かりが消滅した薄闇の駐車場にはもう誰もいなくなって、自分の下山する手段が絶たれて、嫌でも遭難したと認識する。いつの間にか強まってきた山の風がとても冷えて、鍵のかかった建物の陰で小さくなりながら自分を置いていった人たちを呪ってやる。電気がなくて携帯の電波さえ飛ばないそこは、人間のいた痕跡があるだけのただの山だ。駐車場だなんて、思うべからず。突如本性を表わした険しい山岳の表情を前に立ちすくむがいい。これまでかと、人間の驕りを悔やむがいい。
誰だって、いくら仲間がはぐれていても簡単に人の命など飲み込んでしまう山岳に居残ってまで捜索したくなど、ない。そりゃあ心配する気持ちはあっても、実際のところは我が身が一番大事なんだから。自分が死にたくないから、遭難したくたいから助けを求める、で正解。しかしながら助けを求めてもそこに人がいなければ意味はないし、またそこにいた人がわざと放置すれば孤立してしまうことがあるのも現実であって、山岳は下界よりも人間を意識する場所である。
勤務が終わって車で事務所まで戻ると、ほっとする。今日も遭難しなかった。見放されなかった。正常な人の心を壊さなかった。
山岳で働くのは、命懸けである。色々な意味で。
  

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2013年05月05日

山か、街か

都会を目指していた。あの街に憧れていた。挑んでみた。挫折した。
そんな苦い記憶はありつつも気持ちは若い。よせばいいのに、再挑戦。都会を目指すくらいの思想は自由じゃないかと、自分に言い訳して。
確かに通っていたのは、街。自分の生まれたこの村から見れば、コンビニの密度では間違いなく日本で有数の都会なはずの街を目指して頑張っていた。それなのに。あれ、おかしいな。この連休が明ければ、僕は乗鞍の山麓で働くことになる。
僕は、ずっと街を志向してそこを目指していたのに、以前いたところよりもさらに山。働いてもいないうちから高山病の心配をするようなそこは、どう考えても山だ。誰がどう見ても特別な装備と特別な思いでしか到達できない山のそこ、どうして自分の職場になった・・・?
僕という人間。別に山が好き、ということはない。山と聞いて思い浮かぶのは井上靖の「氷壁」とそのドラマ版くらいか。むざむざ自ら命を落としにいくような「氷壁」の世界のような本格的な登山をするわけではないけど、僕が勤務することになる乗鞍の山麓でも環境は十分に厳しいらしいぞ。元来引きこもり属性でブログを書くみたいな暗い趣味しかない僕には、かなりハードルの高い話。それだけに、余計、自分が不思議。
とりあえずこれまでに講習は済んで、後は実際の勤務を待つばかり。その講習の席で出会ったのは、冬のスキー場で嫌というほど顔を合わせてきた爺さん連中ばかり。かなりあくの強いその面々と肩を並べるということは、多分そうなのだろうとなんとなく想像はしていたけれど、
「わざわざ山で働こうなんて、あなたたちは十分に変態です。」
という責任者の方の言葉を聞いて、完全に吹っ切れた。
そうだよな、変態だよ。華やかな街を目指していたのにいつの間にか、山にいる。それも天候が不安定で、過去には実際に熊の襲撃に遭って何人も負傷したという安全の保障されない、まさに山岳。そんな場所に挑んでいくなんて、僕は変態以外の何人でもない。
変態だから、街ではなくて、山なのか。そうなのか。なんとなく、納得。
こうなれば山へ踏み込んだついでにもっと奥山に進んでいって、できることなく定住してやろうか。冬山で思いがけず登山者と遭遇すれば、雪男と呼ばれようか。それもいいかもね。雪男として生きて、最期は激しい吹雪の中で力尽きたりして。あなたが死ぬなら山か街かと問われれば、断然、山なんだよね。なぜか。
まあ、山で死ぬ気はさらさらないけどさ。今シーズン勤務する山は命を落とす危険も十分にある場所だってことで。無事の帰還を祈ってよ。
山か街かの選択は山しか選択のなかった僕に、何かしらのエールを送ってよ。
  

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2013年04月18日

再びの竜~決意~

里の実質的支配者である豪族の主が来訪したその日は、朝から爽やかな秋晴れで、里を見下ろすように鎮座する遠くの霊峰がはっきり見えていっそう神々しかった。
里にとって特別大事なその日のために、大人たちは数日前から忙しく立ち働いて日常の作業は後回しだった。饗応へ肉を出すために猪を狩ったり、目隠しのための壁を丸太を組んで作ったり、普段より多めに薪を集めてきたり、道端の草を刈り取って少しでも道を歩きやすくしたり。いつもと変わらぬ笑顔を浮かべていても言葉の端々に穏やかならざるものを感じる大人が少なくなく、直接業務を担当しないこどもたちにもその異様さは伝わっていた。決して、心から歓迎したい相手ではない。でありながら失礼にならないもてなしをせねばならないという矛盾を、こどもたちにきちんと納得させられる大人は、誰ひとりいなかった。
無理もない。里の長老にとってもまともな話し合いを経ずに他郷から支配を受けるのは初めての経験だ。事を理解できるはずの大人でさえその不満を完全に抑えるのに苦労してきたくらいで、こどもたちの疑問に答えられるような余裕はこの里にはなかった。
だから、その日もいつもと同じように早朝の水汲みを命じられたこどもたちは、あまり面白くなかった。この里では、降雨が強くない限りは五人から十人の集団による水汲みが日課になっていて、いくら重労働といってもその意義を理解していたからぐずる子はほとんどいなかった。ところがその日は、大人たちの異様な雰囲気に触発されたからか、出発の直後から文句を言う子が多くて、やや歩かねばならない渓流から水を汲んで集落へ戻るだけの作業に普段の倍くらい時間がかかってしまった。こどもたちの中ではちょうど中間の立場にあった彼は上と下の両挟みにあって、言葉に窮する場面が多々あった。
彼としては、皆で苦労して生産した米に群がって簡単に飯を食える豪族に従って様々な無理を呑まされるくらいなら、いっそ豪族と戦った方が里の利益になるのではないかと考えていた。だが、ほとんど兵力といえる兵力を持たないこの里では、彼の意見は受け入れられなかった。全員の命があるだけでも儲けものだと言うのだ。下手に抵抗した里では斬首もあったという噂を聞けば、確かに複雑な気持ちはあるが・・・
その日、こどもたちはあまりにも統率を欠いたために水汲みは一往復で免除された。その代わりに言い渡されたのは、自分より年下の者を泣かせないように教育することだった。良いように解釈すれば子守りなのだろうが、その日の彼にとっては大人の仲間入りを無碍にする面倒な事象にすぎなかった。時間があれば山に入って木の実の採集をと考えていたのも叶わず、年下の子の面倒を見るだけで時間がすぎていくのが、とても嫌だった。
この頃の里では成人の儀式を迎えた大人と、それ以前のこどもははっきり区別されていた。数えで十二を迎えたその月に行われる成人の儀式自体は古式に則って行われるからごく質素で、時間もそうはかからない。儀式の夜に出されるご馳走にしても、やっと酒が飲めるくらいの違いしかないのが現実だ。彼にしてみればその成人の儀式を終えれば里を離れねばならない厳しい掟があるのも承知の上。だから大人になることは怖いが、大人になってより責任の重い仕事を任されることには幼少の頃から憧憬があった。それも、かなり強く。事あるごとに竜との関連を疑われてあまり居心地のいい生き方をしてこなかった彼の事情もあるし、自分の為したことが他者を動かして団体としての成果になるその充実感を想像して顔がにやけるせいもある。彼はこの里で成人としての体験ができないからこそ大人に執着し、大人になることを意識するからこそ、普段から年齢よりも落ち着いた思考をするようになっていた。
彼はこの時、七歳。もちろん体格的にも精神的な成熟度においても大人には敵わなかった。それは現実と認識しつつ、彼だからできる何かがあるのではないかと日々、悩み苦しんでいた。
いつもの割り振りどおりの面々で簡素な昼食を済ませると、ほどなくして里人は全員、広場に集められた。広場は集落の片隅にある開けた場所で、大きな会合や季節ごとの祭祀はここで行われる。里にとっての要人である豪族の主をもてなす場所がここになったことは、誰も疑いをもつことではなかった。
豪族の主らは、なかなか姿を見せなかった。竜を監視するための櫓からなら広い視界があるので里に向かう人の隊列をいち早く発見できるはずだが、監視役の若衆からの連絡もない。秋の高い空は未だ健在だ。普段なら大人たちに混ざって冬に向けての準備作業に励んでいるところが、いつになく手持ち無沙汰。里人がたくさん集合していても何もすることがなく待機を続けることは、彼には苦手だった。
せめて竜でもいてくれれば、という密かな望みもこの時季にはほとんど期待できなかった。夏、中天の太陽が燃え盛るのと同調して闘いを開始した竜は、陽を背負い眩しい影となって夏の間中闘いを続け、分厚い雨雲に太陽の威光が掻き消される秋の初めに地へ堕ちて、そこからは大地を這いつくばってしか移動できなくなる。我々、人間と同じく。竜はそうやって毎年似たような生態を繰り返してきたから、秋の深まるこの時季は里の近くにいないことが推測できるし、実際に今朝の段階で櫓から確認できる位置に竜の姿を認めることはできなかった。
彼は、竜の存在が気になっていた。それはおそらく、物心ついた頃から彼の出生は竜との関連があると聞かされてきたことや、森の泉から彼を助け出したことを自慢げに語る兄弟のうち獣のように鼻の利く弟からさんざん「竜の匂いがする。こびりついてる。」と散々言われてきたことからなのだろう。何度自分の身体を嗅いでみても、彼には自らの汗や泥や肥の匂いくらいしか感じることはできなかった。その兄弟は普段から他人をからかって笑うような性格ではないので、全くの嘘ではないのだろう。いや、嘘どころか、全てが真実なのかもしれない。彼の側からは竜の存在は消滅してはならないものだった。特に敵対するでもなく、必要以上に自分を庇うものでもなく、とにかくそこになくては自分の脆弱な存在が消えてしまう、と思えるのが、あの竜だった。
それに対して、彼は、人間である豪族の主には何の尊厳も感じなかった。集合の号令があってから時間が経ちすぎて、まだ他人の服の裾を掴まないと外へ出られない小さな子がぐずりだした。こうならないために子守を任せたのに、と心ない大人たちにどやされて、彼は慌てて自分の担当する子の手を引いて、里人の集団から離れた。それは、担当する子が一人でおしっこをできないから察してそうしたのだが、よく聞いてみるとおしっこではなくて、里人全員が神妙な面持ちで集合したその異様な雰囲気に耐えられなくなったようだった。分かる。彼は担当の子をなだめながら、皆から離れたここからなら逃げ出せると、不意に邪な考えを巡らした。
いや、違うだろう。彼は、誰かが削りかけで放置していた石器の刃をたまたま見つけて、人に見られないように麻でできた衣服の繊維のほつれに引っ掛けるようにそれを隠し持った。いざとなれば戦うんだ。豪族の主を殺すんだ。彼は、自分の引いてきた子が不審がるくらいに、何もないうちから武者震いしていた。
  

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2013年04月10日

再びの竜~支配~

里が豪族の支配下に置かれた次の年。強引な手段で周りの里を次々に併呑して面積だけなら戦国時代の小国くらいの領主となった豪族の主が、いきなり巡視のために来訪することになって、里はその準備のため少し異様な空気に包まれたことがあった。
里ではやっと村人総出で稲の刈り取りを終わり、これから迎える寒い時期に備えて木の実を採集したり、畑作物の収穫を進めつつ保存食の製造を始めた頃だった。
この時代の米は赤米が中心だった。大陸から伝来した時は後の主流となる白米も一緒だったが、この頃の日本では水田環境や稲作技術が貧弱だったために赤米でしか収穫量を確保できなかった。赤米は、日本の野山でも原生していたくらいに適応能力が広く、白米ほど手をかけなくても栽培できる代わりに、味についてはそのままでは苦すぎて他の雑穀類を混ぜてやっと、くらいだったようだ。
う。それでも既に定住生活を始めていたこの時代の人々にとっては、保存が利いて比較的少量でも炭水化物を摂取できる赤米は、暮らしになくてはならない大事な食べ物だった。この里では集落の中心に高床の倉庫を作って収穫後に備蓄し、それを食事ごとに取り出して煮炊きする暮らしを送っていた。
この頃は集落単位で水田を営んでいたから、おそらく食事も集落ごとの取り決めに拠っていたのではないだろうか。家はまだ寝起きの場所でしかなく、人はまだ生活全般を集落の規範に縛られていた。食事や仕事はもちろん、信仰も、誰と結婚するか、集落として何をするか、本当に全てだ。だが現代人の感覚で考えてはいけない。この時代は個を差し出して里として一体になることで個人の命を保障されたから、そうした人の群れをはぐれて流浪の民になることは死を意味していた。生活の規範があって縛られることが逆に人々の安心に繋がっていた面もあるのだろう。
里に押し寄せてきて強引に里を支配下に置いた豪族は、自らも似たような境遇であるため里の規範を改変するまではしなかった。豪族の兵を常駐させて、毎年、幾ばくかの米を納めるよう求めただけだった。訓練した兵士とともに乗り込んできて自ら最長老と面談した豪族の主は、人懐っこそうな笑顔に狡猾さを隠しながら、終始上機嫌で自分の思いを一方的に語って去っていったそうだ。彼の言葉を信じるならそんなに生活が変わるはずはないのだが、実際には豪族から派遣された兵士の食事まで面倒を見ることになって豪族は里の民からとても疎まれた。
前述したように、人々が土着の神を信仰していて生活の規範に影響を与える部分があるのも良くなかった。派遣された兵士たちは近隣の里の出身者ばかりではあったが、この里ではやはり他人だった。彼らは、里の者が長らく守ってきた倉庫の出入り口に陣取っていたので、里人は備蓄した穀類の管理さえままならない。それだけでなく、彼らは里の者が自然に行ってきた土着の神に対するささやかな祈りやまじないを見かける度に白白々しい眼で里人を見下したから、なおさらだ。
それらの兵士は里を守るためにいるという豪族側の建前を鵜呑みにする里人は誰もいなかった。あわよくば倉庫の前にいる武装した兵士をそっくりそのまま略奪者に豹変させる狙いもあるのは疑いようがない。ただし里の者は、実力行使に及んできた豪族が本当はそれに見合う富を持ち合わせてなく、配下の里に派遣する兵士たちは単なる見栄なのだと見抜いていた。だから一つ顔の皮を剥がせば本性が露になって張りぼての支配は足元から崩れ落ちる。そう考えなければやっていけない気持ちで里の者は耐えていた。
その年は思いも寄らない兵士の常駐のためにただでさえ少ない備蓄が大幅に削られてしまった。しかも春先からの天候不順で稲作が思うようにならず、平年よりも収穫量を減らした。そんな中で豪族の主が来訪する、失礼にならないもてなしをする必要がある。まだ幼い彼には全く理解できないことだった。
  

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2013年04月09日

再びの竜~黎明~

この時代は国が発生する前の黎明期である。人間は好奇心の動物であるらしく、水田が発達して定住が始まる以前のかなり古い時期から徒歩で全国各地を回っており、実は今日の我々が考えるよりもずっと島の諸事情に詳しかったと考えられる。全ては過去の旅人が残した口伝を繋ぎ合わせたものだが、おおよそであっても島のどこに何があり、どんな人が暮らして、この次に何が起ころうとしているかを知っているというのは驚きだし、そうした適切な知識があったからこそ、全国の力を結集して一つの国を作り上げる必要性を嫌というほどに認識していたはずだ。
認識してはいた。が、誰もそれを実現できなかった。目の前の暮らしを優先すればどうしても大事が疎かになってしまうから。自分の属する家族や集落などの小事を誰かに代わって貰えるほどの余裕がなければどのみち全国をまとめ上げる大作業は無理だった。それでも更なる高みを目指す人間の飽くなき欲望の終着点は共通していたわけで、国を作ろうという情熱はこの時代どこにでも燻っており、それが単発の花火とその鎮火を繰り返しながら、少しずつ目指す方向へは進んでいた。
ただし南北に長く、場所によって全く気候も風土も異なる複雑なこの列島の話だから、その場所によって文化や思想の習熟度合いには差があって、概ね雪の降る地域ほど遅れる傾向はあった。この話の舞台となる里は内陸部にあって毎年のように降雪があって冬は雪解けまで我慢を強いられていたから、必然的に時間の進み方は緩やかだった。大事が何もなくて安寧な暮らしを求めるだけならそれでいい。竜の存在以外にはあまり脅威を感じたことのない里の民はまだ、国作りを目指す情熱の恐ろしさを正確には認識できないでいた。
里の現状は、定住生活にようやく慣れて、内外の諸問題を解決しながらどうすれば里の富を増強できるかを考え始めたくらいの段階。信仰としても、神威を感じさえすればそこにある老木や巨岩や風景が神へと昇華するような原始的な様相であって、どうしても広域的な連携とは結びつきにくかった。それが悪かった。
近くの裕福な里で勢力を蓄えた豪族がその里に軍隊を送り込んできて、圧倒的な戦力を前に戦わずして降伏を余儀なくされてしまった。これは彼が六歳の冬に起きた大事件だ。以降、里はその豪族に対して幾ばくかの米と兵士を納めねばならなくなり、自ずと生産力に限界があるため里は急激に衰えていった。
その豪族は、国作りのためのやむを得ない併呑だと強調しながらも、実際の支配は自分の懐を肥やして少しでも楽に生きたいがための強引な兵力の行使であった。里の民は最初から見抜いていたが、圧倒的な力の前に誰も文句を言えなかった。やはり自分の死は誰もが怖かった。里全体で力が足りなければ自分の屍を超えて逆襲してくれるわけもなく、犬死にを選ぶくらいなら降伏の方がずっとましだった。
そんな時代。そんな実情。
時折豪族が里の統治に口出ししてくることがあっても、支配欲からのことだから、まともに抵抗しなければ特に問題は起きなかった。年貢として米を納めることだけが、里に課された使命だといえた。豪族の派遣する兵士たちは水田の管理や米の収穫量にはうるさかったが、民の拠り所とする信仰の部分については割と大らかだった。大きく見れば彼らも天を統べる霊峰を仰ぎ見る立場で、地元に帰れば土着の神を信仰する同士だから心の有り様にまで立ち入ることはしなかった。豪族の支配を許しはしても里はまだ平和だった。人はまだ本格的な殺し合いを望んでいなかった。
この頃の人々の暮らしはとても粗末なものだった。それは近隣の里を支配下に置いたその豪族にしても事情に変わりはなく、たまたま拠点を置いた環境が良かった程度の理由で力を持ち得ただけ。たまたま余剰人員がいて彼らを兵士として鍛錬できたことが他と違ったくらいで、専属の兵士がいること以外の暮らしぶりは基本的に周囲の里と変わりはなかった。まだまだこの時代、地方の豪族は主といっても農作業から完全に解放されることがなく、人々の統治に骨を砕く理由もないから半ば放置が当たり前だった。
近隣の豪族やその兵士にとっても一筋縄でいかなかったのが、あの竜の存在だった。竜の生態についての知見や日頃の監視活動については、里の者を凌駕することができなかったから。かなり早い段階で竜の存在や竜に対処する苦労する現実を聞き及んではいても、豪族の主は想像して共感する心を持ち合わせていなかった。残念ながら、それがこの地域の現実だった。やがて豪族は廃れ、支配下の里は統治から見放される。
竜に食われずに生き残った彼が幼少を生きたのは、そうなる前の時代だった。他人よりも感性の豊かな彼には思うことがたくさんあった。が、彼の屈託ない意見は大人たちに悉く封殺された。農作業に従事して少なくない貢献はしても、彼は所詮こどもにすぎなかった。彼はそれが物凄く悔しかった。
  

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